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久喜高校修学旅行事前学習「沖縄戦場体験談」を聴いて 「その9」で更新します。
2年生感想文より 今日は金城さんのお話を聴いて、改めて沖縄戦の恐ろしさを知りました。私の祖父も対馬丸に乗っていました。母、弟、妹と乗っていたそうです。米軍の攻撃を受け、母と妹は亡くなりましたが、祖父は弟と数日間海を漂流し、日本の船に助けられたそうです。あの時祖父が必死に生きようとしてくれなかたら こそ、こうして私がいるのだと思えます。祖父母は沖縄の生まれで、沖縄戦を経験しています。稀に話してくれた戦争の話と、怖くてまともに聞いてきませんでした。祖父は5年前に他界しました。そうして、沖縄戦を知る人が1人又1人と減っていくのだと思いました。そして自分がもっと戦争の話に耳を傾けるべきだったと後悔しました。私たちは12月に修学旅行で沖縄を訪れます。青い海や白い砂浜や豊かな自然が、恐ろしい戦争の舞台であったことを忘れないで いたいと思います。 今日の金城さんの話しを聴いて、体験していない人からの話と、戦場体験者からの話しでは全く重みも内容も視点も違いました。時間が余りなくて詳しくは聞けませんでしたが知らない事が多く聞けました。特に記憶に残っているのは、一つは金城さんが米軍に捕虜になったとき、米兵がまず水筒を出し水を飲ませた事です。沖縄戦の記録を見る限り米軍はとても残酷で残虐な行いをしているのに、その米兵にも人の心があったのかと思いました。二つ目は、金城さんの祖母が焼身自殺をしてしまったことです。沖縄の人々が米兵につかまるまいとしていたのは、知っていましたが、具体的な内容では知りませんでした。日本がそんなデマを流して、多くの人が自ら命を絶ったのかと思うと、とても心が苦しくなりました。3つ目は、道に転がる死体の上を米軍の戦車が踏みつけて通って行ったという話しです。それだけ多くの人が殺され、生き残った人々には弔いをする余裕がなかったのであろう事が分かりました。一体どれだけの人が家族や友人、親戚の安否がわかっていたのでしょうか。この講話は戦争を知らない私たちに多くの事を教えてくれました。お話しをして下さった金城さん有難う御座いました。 今回、沖縄地上戦についてのお話を聴いて改めて戦争の悲惨さを知る事ができました。今まで教科書や先生のお話でしたが、聴いた事がなかったので、こうして実際に戦場を体験された方のお話を聴く事はとても貴重な時間でした。特に印象深かったお話しは、日本軍が自ら沖縄の人々に手榴弾を持たせたというお話でした。手榴弾と聞くと普通は敵に向って投げつけて攻撃する物ですが、当時はアメリカの捕虜となったら、どうなるか分からないからと言って渡されたと知り、とても胸が痛くなりました。今ではありえないこの様なな多くの人々を悲しませた悲惨な戦争は実際に約60年前にあったという記録は日本人ならば絶対に忘れてはいけない事だと思いました。また、金城さんのように当日の戦場体験された方が若い私たちに伝えて下さる事は貴重なことであり、とても大切な事だと思います。この沖縄地上戦の歴史は今後もっと多くの人々に伝わり続け、何の為の戦争であったのかを知るべきだと改めて分かりました。今回は短い時間でしたが、私達に戦争の体験談をお話しくださり有難う御座いました。12月に沖縄への修学旅行では金城さんのお話を生かせて沖縄での戦争や文化を学んで来たいと思います。そして、これからも私達のような若い10代の人々に貴重な戦場体験談を伝え続けて下さい。 今までに沢山の戦争事についてテレビや本で勉強をしてきたつもりでした。しかし、今日初めて戦場を実際に体験した金城圀弘先生のお話を聴いて始めて知ったことが沢山ありました。先生の講演の中で最初のDVDの映像は途中眼を背けたくなる所も幾つかありました。戦争当時の悲惨さが見ている私たちに映像ですが、ものすごく伝わってきました。戦車や爆弾を造る為に一般市民から金属類を集めいたそうでです。また、一般市民の食事も日に日に貧しくなっていたそうです。今ならお腹一杯になるまで食べられるのが当たり前ですが、当時はそのような事はありませんでした。私達がこの時代で何も不自由なく生活できることを改めて感謝しなければいけないと感じました。また、戦争の怖さを感じました。戦争は日本の軍隊だけなく一般市民の人々の命を奪ってしまう。そんな尊い命をどうして奪わないといけないのか私は不思議でなりません。そんな気持ちでアメリカ軍は沖縄に爆弾を落としたのでしょうか。この一瞬の悲劇でたくさんの人たちが家をなくし家族を亡くしてしまったと思います。人を傷つけるほかに他の方法がなかったのでしょうか。このように沢山の人を不幸にする戦争はこれから先も絶対に起こしてはいけないという気持ちが強くなりました。今日の金城先生の講演会はとても貴重な2時間でした 今日の講演を聴いて、やっぱり生の声は違うなと思いました。私は夏休みを利用して戦争関係の本をいくつか読みました。読書感想文を書いた「ガラスのうさぎ」英語科の課題だった資料、総学の沖縄新聞を作成するためなどで、読みました。普段好んで読むのは物語ばかりで、自分から進んで戦争関係の事を調べたのは、始めてだったと思います。どの本を読んでも、残酷な当時の事は解りましたし、写真が掲載されているものも、目を背けたくなりながらも見て、たくさんの衝撃を受けました。しかし、今日の人権教育講演会中の金城先生のお話は、どの衝撃よりも、大きく、激しいものでした。本に書かれていることを読んで、色々な事を考えされましたが、やはり、どこか現実味が薄く、架空の話のように感じていました。でも、今日のお話は生き証人である人の生の声ということもあり、迫力が違いました。その中でも、米軍の捕虜となり連行される時の、お話しは一番私の中にも残りました。風評の恐ろしさ、戦場という場所での精神状態、軍国主義というもの、この悲惨すぎる場景は、今の私は想像する事が出来ませんが、とても恐怖に感じます。当時6歳だった金城さん、戦中の記憶はきっと、ずっと残り続けるのではないかと思いました。収容所でのお話しや、戦後の生活など、もっともっと聞きたくなりましたし、同時に今日のこの貴重なお話を聴く事ができて良かったと思いました。風評の恐ろしさは、私も実感しました。マスコミからの情報に過剰に反応するのではなくその情報の正誤をしっかり見極め、正しい選択をしたいと思いました。そして、今の、この平和である日本を大切にしていきたいと感じました。 ニユースが分からん 沖縄戦を体験した事のある金城氏の話はとても貴重なものとなりました。私は今年の読書感想文を書くとき、沖縄地上戦ではなく、戦争の本を読みました。それを読んだとき結果として、戦争の話は辛くても体験した事を話してもらうべきだで、悲しくても私たち世代は聞くべきだと思いました。やっぱり戦争の話しを聞くと色々と考えさせられて、心が締め付けだれた気分になります。戦争中は国のため、死ぬというのが常識で、戦争中だから皆がそうするように、そうであるんだと思いました。でも、今の私はそんな事は考えらません。さらに、手榴弾を非戦闘員にまで配る国の判断も間違っていると思います。生きている内は何があっても自分から死にたいなんて思うのはダメです。そんな環境を作ってしまう戦争はやっぱり許しがたいです。戦争後、今で言う震災後のマスコミから出る風評被害(デマ)などが現地の人々を傷つけてしまう事が、よく分かりました。人の勝手な見方だけで傷つく人は沢山います。戦争中は思想も全部固められ、自ら戦争を辞めたくても、始まって締まったらそう簡単には辞められない。私は戦争に関する内容の学習をする時、思うのは人間が、この世界で最も恐ろしい生き物だと感じます。戦争だけに言えることではありません。人間は人間、同士の戦いもあれば、又、そこら辺にいる動物、生き物たちも簡単に殺します。人間はすごく恐ろしいです。私たち2年生は今年12月修学旅行に沖縄に行きます。行ったとき楽しみだけでなく、沖縄地上戦の事をもっと詳しく知る事も大事だと思います。私は戦場体験はありませんが、この世の中から悲惨な戦いをなくする意味でも、多くの人々にもわかって貰いたいです。 誕生日の花 《 11月8日の誕生花と花言葉 》 うめもどき 明朗 学名:Ilex serrata 花期:夏 赤い実がきれいなので,庭木として植えられます。葉が落ちた後はひときわ目立ちます。
by kinkunihiro
| 2012-11-08 12:32
| 戦場体験談講和
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