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圀弘日記


日々の生活つれづれなるままに
by kinkunihiro
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11月7日 久喜高等学校 修学旅行 その8

修学旅行事前学習「その8」を掲載し、講話を聴いた生徒の感想文を随時に掲載します。
校長室に掲載されている歴代の校長先生方
11月7日 久喜高等学校 修学旅行 その8_d0249595_19143791.jpg

2年生感想文から
今回の講演会で私は初めて戦争を体験した方からお話しを聴きました。戦争の本を読んだり、ドラマやニユースなどで観た事はありましたが、私と程遠い世界で起こっているような感覚でした。戦争は怖いということは私の中で分かったつもりでしたが、どんな事が怖いのかといった細かい所まではあまり理解が出来ませんでした。最後に戦争を体験した話しを聞いて、戦争は一時的な怖さではなく戦争中に生きてきた人の心にずっと恐怖を残してしまうものだと言う事が分かりました。今、私たちが暮らしている当たり前の日々は他の国ではまだ戦争している事を考えると、とっても幸せだったのだと気づかされました。又、戦争中は真実なのか、嘘なのかも分からない、嘘のような話しを気にするか、しないかだけでその人の人生が変えられてしまうというのが、とても印象に残りました。今の日本でもそれはずっと変わっていないと思うし、自分自身で正確に判断出来るものと、出来ないものと、どちらもあると思うので、とても難しい問題だと感じました。戦争の際に各家庭の金属を回収されてしまったり、貧しい生活を送ったり日本兵を各家庭に内に泊めたり、精神力が強くないと生き抜く事が出来ないような状況を知らされました。戦争と言うものから逃げ出す事も困難な時期を過ごしてきた人々は本当にすごいと思いました。今回の講演を聴き、今までの現実を離れていたようなイメージが、今では本当に現実にあったものだったと実感しました。実際に戦争を体験した人から体験談を聴くことが出来たからこそ気付けた事なのだと思いました。再び戦争が起こらないように今まで学んだ事を決して忘れずに、これからは生活して行きたいと思います。
校長先生方
11月7日 久喜高等学校 修学旅行 その8_d0249595_19171073.jpg

2年さ生感想文から
普段、テレビや写真で見るのと違って金城先生が体験した出来事を話してくれた、とても貴重な体験が出来ました。話しに入る前の沖縄戦の影響はドラマや特別番組とは違い、とても生々しく特に人が亡くなった惨状を見た時はこのような状況があちこちで見られていたのかと思いました。今まで感じた事のない気持ちになりました。金城先生の話の中で一番印象に残っているのは、捕虜となった時に金城先生の祖母が焼身自殺されてしまった事です。当時の日本の教育の事は以前に「ひめゆり学徒」について調べたときやドラマで知りました。調べれば調べるほど、日本の教育に驚されていました。この教育があったから日本は強くなれたのかも知れないけれど、この教育があったから多くの自殺者が出たのだと改めて思いました。今回の講演を聴いて、あるアメリカ兵だった人の言葉を思い出しました。「何故日本人は死にたがるのか全く理解できない」この人は目の前で日本人の集団自決を見たそうです。外国から見ても日本の教育はすさまじかたなと思いました。金城先生が語ってくれた事は決して大人になっても心に残っていると思います。今回の貴重な体験が無駄にならないよう、忘れないよう、いつでも 平和のことを思います。
校長先生方
11月7日 久喜高等学校 修学旅行 その8_d0249595_19212145.jpg

今回はお忙しい中、久喜高校に足を運んでくださり有難う御座いました。先生の話は私にとっては何もかも予想外な事ばかりで、やはり実際に体験をした方と私達みたく戦争を体験した事のない人間ではどうしても考えに誤差があるんだとしみじみ痛感しました。先生の話の中で一番わたくしの頭に強く残っていることは、“戦争中実際に弾や銃などに当たって亡くなった方は約く2割、残りの8割の人々は餓死やマラリア、コレラなどの疫病で亡くなったというお話しです。私はてっきり、その逆だと思い込んでいました。戦争中に亡くなった方が7~8割で残りの3割程度が戦後の生活困難で命を落としていたのではないかと。なので、その話には驚きを隠せなかったです。後、先生の祖母が仮小屋で焼身自殺したという話も何とも言えない気持ちになりました。私は戦火の中、自殺行為が崖から海に飛び込む最終手段と思っていたので、祖母の行動や手榴
弾の話しを聞いた時は、何とも言えない感情が残りました。
私は小学生の頃、沖縄を訪れた事があります。その時に「平和の礎」を見たのを今でも鮮明に覚えています。自分の身長よりも高い礎の数々、その一つ一つに沖縄戦で二度と戻らぬ人々の名前が刻まれている、というのは、当時小学生の私には刺激が強かった事も覚えています。でも今はその小学生の頃の思いと戦火の中で戻らぬ人々の、“生きるということに向き合う大切さ”を強く胸に遺したいです。私の祖父母も戦争体験者でした。もう現在はこの世にはいませんが、小学生の頃、祖母が言っていた“東京の空が赤く燃えていたんだよ”という言葉、今でも忘れません。“戦後”という言葉をもっとしっかり向き合って生きたいと思いました。


by kinkunihiro | 2012-11-07 10:10 | 戦場体験談講和 | Comments(0)
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